2015-05-27 第189回国会 衆議院 地方創生に関する特別委員会 第10号
鳥取県も当てはまればいいなと思ったんですが、聞きますと、鳥取市も米子市も伯耆に当たる……(石破国務大臣「鳥取市は因幡です」と呼ぶ)違うんですか。鳥取はやはり因幡ですか。ならばよかった。ちょっとレクのときに確認したら。そうであるならばまさにそのとおりなんですね。 ですから、今都道府県で一くくりにされているところも、それぞれやはり中核都市があって、古い時代でいえば、一つの国をなしていた。
鳥取県も当てはまればいいなと思ったんですが、聞きますと、鳥取市も米子市も伯耆に当たる……(石破国務大臣「鳥取市は因幡です」と呼ぶ)違うんですか。鳥取はやはり因幡ですか。ならばよかった。ちょっとレクのときに確認したら。そうであるならばまさにそのとおりなんですね。 ですから、今都道府県で一くくりにされているところも、それぞれやはり中核都市があって、古い時代でいえば、一つの国をなしていた。
何も、江戸時代に戻れと言うつもりはないんですけれども、江戸時代は、私どもの県は因幡の国と伯耆の国でございました。だから、そういうような考え方はやはりある程度あってしかるべきではないんだろうかという気が、私自身はいたしております。
いろいろと教科書等を見ても、どちらかというと、例えば、因幡の白ウサギであるとかヤマタノオロチを取り上げているところとかもあったりもするんですけれども、神話というよりは、「まんが日本昔ばなし」の一つの物語、言ってみれば、金太郎とかかちかち山と余り変わらない童話みたいな位置づけで、大事なことは、因幡の白ウサギなら因幡の白ウサギでいいんですが、では、それにどういう歴史的な背景があって、それが今生きる我々にどう
万葉集は、天平宝字三年、七五九年ですが、一月一日、収録された四千五百十六首のうち最後に置かれ、かつ、最も新しい年代の歌、大伴家持自身の歌が、因幡の国府、これは今の鳥取県の鳥取市、合併以前は国府町ですが、因幡国府で詠まれております。 古今和歌集は、延喜五年、九〇五年四月の十五日に、紀貫之が平安京の内裏で二十巻の最初の勅選和歌集を選進いたしております。
冒頭は万葉集で始めたいと思いますが、片山大臣とお話をするならこの歌しかないという、やはり鳥取県因幡の歌しかないでしょう。季節はちょっとずれましたけれども、ことしは大雪でしたのでこの歌でよろしいか、このように思います。 巻二十、四千五百十六番、万葉集最後の歌でありまして、天平宝字三年、七五九年の正月一日に、因幡の国庁で国司大伴家持が、昔の鳥取県知事であった大伴家持が詠まれた歌であります。
言うなれば、因幡の白ウサギが船と船を跳びはねて日本まで来れるんじゃないかと思うくらいの割合で、頻度で浮かんでいるということを、数珠つなぎってまさにこのことを言うのではなかろうかというふうに思います。 こう考えますと、一体食料の問題をどう考えるか。大変な局面にあると考えます。船賃も大変上がっているわけであります。
そのドナーとなった方のお母さんは、こんなに皮膚までとられて因幡の白ウサギのようになってといってお嘆きになった。そんなことは聞いていませんでしたということで、ずっと後々まで、今、後悔しておられる。先生も多分このお話は御存じだろうと思います。 先般、今月、私は質問主意書を出させていただきました。関西医大で摘出をされたこの血管が、今、国立循環器病センターで冷凍保存されている。
二日目は、鳥取県を訪れ、境港市の海とくらしの史料館、県営境港水産物地方卸売市場、境港、境港市文化ホール、赤碕町のポート赤碕・ふれあい広場建設事業、大栄町の農協スイカ選果場、国府町の因幡万葉歴史館等を視察した後、鳥取県当局より財政状況及び当面する行政上の諸課題等について概況説明を聴取いたしました。 以下、調査の概要について申し上げます。
そういうことで一番変わったのは、麒麟獅子というのは本来吉兆、いいことを天からお告げに来るということで、すぐれて但馬、因幡の地区が多いんですが、たまたま砂丘があったものですから、そこでやっているのをキリンビールが見つけまして、これがビールの宣伝になると、この厳かな天のお告げの舞い方がテレビに出てくるところは大変に色っぽい演出になっているわけです。
資料で申し上げますと四十七ページをごらんいただければよろしいわけでございますけれども、鳥取県の人口分布の状況を先に申し上げさせていただきたいと存じますが、東の方から、鳥取市を中心にいたしまして気高郡以東の地域がいわゆる因幡の国でございます。人口が二十四万八千人ということでございます。
最近非常にいろいろな汚染原因があるわけでありますが、第一点のごみの問題でありますけれども、昭和四十七年の集中豪雨のときに、私ども神奈川県、東京湾と開放型の相模湾に面したところでありますけれども、物すごいごみで、そのごみを称して「因幡の白兎」だなんて、そういう表現があったほどごみの浜になったわけでございまして、そしてそれが目に見えるところでなくて、最近は非常に海底深くかなりのごみ、そのごみも分解をしないような
そのため、京都府あるいは兵庫県、さらに鳥取県の関係沿線市町が相集い、丹後・但馬・因幡を結ぶ府県道国道昇格促進協議会を結成をし、そして宮津−鳥取間の国道昇格運動を展開しているところでございます。地域間交通の増大を背景に自動車交通が広域化している昨今でありますが、国道網の大幅な将来構想延長の見直しを実施され、ぜひとも一般国道に組み入れていただきますよう、心からお願いをしておきたいと思います。
和牛の中でも特に中国産系のものは、これは但馬牛あるいは因幡牛、丹波牛といったようなそういった地域のものは、これはきわめて高級なものとして通用いたしております。価格においても比較にならないほど輸入牛肉、アメリカ牛肉等に比べて高い水準にあります。
おそらく大麻痺して自動車が埋まっちゃうと思うんですけれども、自動車の屋根を飛び込えて、因幡の白ウサギのような逃げ方しかできないと思うんですけれども、そういう意味で公園のこれは本来の意味というのは、国民のいこいの場所ではあるけれども、いまの東京の現状、大阪の現状から考える場合、緊急避難の場所、こういうことも私は大きく意義づけられなくちゃならぬと思うんです。
また文武天皇の御代の西暦六九七年から七〇六年にかけて全国で多数の鉱山が発見されておりまして、たとえば因幡、周防、安芸、長門の銅、伊勢、伊予のアンチモニー、伊勢、備前、豊後などの水銀、因幡のすず、紀州の銀、対馬の金などがあげられております。西暦七〇一年には年号を大宝と改めておりまするが、有名な大宝令には鉱業に関する法規がありますことは、当時鉱業が盛んであったということをあらわすものだろうと思います。
出雲、伯耆、因幡、丹波、但馬、丹後、この方面は北陸に次ぐ一つの豪雪地帯とでも申しますか、ここでは局地的な豪雪ということばが使われておりますが、私は豪雪地帯というものは一定の時期に多量の、雪が堆積し、長きにわたって融雪しない、こういう地域をさしておると思います。
その点は戦後になりまして、そういう神話を史実と全く混同してしまって、史実であるかのことく、天照大神から天孫降臨の神話、あるいは因幡の白兎の話などによって、日本の国家統一の事情を説明し、あの神話のとおりだというふうに教えた戦前の歴史教育は、非科学的だというふうに批判され 反省されましたことは、まことに正しいことであります。
鳥取ですから、因幡というところはなかなかむずかしいところで、したがいまして、一人で夜道を帰るわけですね。いろいろな問題が起こっているんだが、起こった場合に病院長には責任がございませんよという誓約書を前もってとって、看護婦さんに忠勤を誓わせて使っている。こうなりますと、これは幾ら何でもこういうところで、ほかに働くところがあれば行きたくないという気になりますよ。
郵政省においては今回鳥取県大岩、岩井両郵便局の郵便集配事務を廃止し岩美町全部を浦富局に統合する計画の由であるが、岩美町は昭和二十九年七月一日東因幡の九カ町村が合併して発足した東西約十三キロ、南北約十五キロにわたる広大な地域を有し、町民としては小田、蒲生の二無集配局を集配局に改定されることを念願していた際とてその驚きは一通りでなく、また郵政業務の運行はますます円滑をかくことは明らかであるから、この計画
ところが、本年の九月十五日ごろでありますか、田中さんの奥さんの球恵さんが、日ごろ同家に出入りしておりますところの共産党の因幡地区委員会の上山恵美子さんに、この秘聴器のあることを話されたわけであります。そういう結果、上山さんは党機関に連絡し、党機関は、日農あるいは部落解放、あるいはまた労協の民主団体に呼びかけて、抗議をするようになつたわけであります。
それで私たちは日農、それから東部労協、それから自由労働組合部落解放委員会、日本共産党因幡地区委員会と五団体の名前で盗聴機の現物品を一時預かることになつたわけなんです。そうして私が田中さんの家を何ゆえ借りていたのかということを申上げますと、私は二十八年の末頃にちようど秋ですけれども、日本共産党に入党いたしまして、勤めのかたわらずつと平和活動をやつて来たわけなんでございます。